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大阪高等裁判所 昭和61年(う)45号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一五〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐々木哲蔵、同泉裕二郎連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事宇陀佑司作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(原判示第一についての訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原判決には、判示第一の事実を認定するに当り、違法な捜査に基づいて収集された証拠能力のない証拠、すなわち、警察官において被告人に暴行を加え、傷害を負わせるなどしたうえ、逮捕状なしに被告人の身体を拘束して警察署まで連行し、尿の提出、領置(以下、採尿手続という)をしてこれを鑑定する等、違法に収集した証拠を被告人の罪証に供した訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討して、以下のとおり判断する。

所論は、まず、被告人は、原判示朝日プラザホテル千日前一二〇六号室から大阪府東警察署(以下、東署という)に連行される前、同室で警察官からパンツ一枚の裸にされ、正座させられ、さらにホテルのキーのついた四角い棒様のプラスチック(キーホルダー)で額を殴られて負傷したというので検討すると、被告人は当審において概ね所論に沿う供述をしており、また、関係証拠によれば、被告人が当日同部屋で額右上部を怪我し、若干血が流れ出たことは明らかであるが、当審証人成瀬勝博(当時大阪府警察本部刑事部機動捜査隊所属司法警察員警部補)は、その状況について概ね次のように証言する。すなわち、同人は、「当日(昭和六〇年七月二七日)午前一時二五分頃、同捜査隊所属警察官ら六名(後にさらに二名が合流)を指揮して、覚せい剤取締法違反容疑ですでに逮捕状が出ていたAを逮捕するべく、その潜伏先である右ホテル一二階の一二〇六号室に赴き、踏み込んだところ、入ってすぐの応接セットのある部屋のソファーにもたれかかるように座っていた被告人を発見し、直ちに住所、氏名、Aの所在等を尋ねかつその腕を見て注射痕を発見した。ところで、目的のAは、同部屋とドア続きの奥のベッドルームでB子と寝ていたが、警察官らによる同人(A)に対する逮捕状の執行及び捜索が始まるや、被告人は自分は関係ないから帰らせてもらいたいと言い出したが、右注射痕から覚せい剤使用の疑があり、尿の検査や事情聴取のため東署まで同行するよう警察官らにおいて説得していたところ、前示ソファーから移動してジュータンの上に座っていた被告人が、突然自分の前に置いてあった縦約六〇センチメートル、横約七一センチメートル、高さ約四五センチメートルの物置机に自己の頭部付近を二、三回打ちつけ、その結果、額右上部を負傷し血が一筋流れ出るという事態が起った。その際、被告人は警察官らに対し、『これで事件にできないだろう。』という趣旨のことを、さらに後刻東署で注射痕の写真を撮るとき、警察官が血の跡をふき取ろうとしたら『自分でやったことだから、そのままでいい。』旨言い、額右上部に血がついたまま写真を撮ったものであって、被告人の傷は、所論とは異り、右のように自傷行為によるものであり、また、警察官らが被告人を裸にしたり、正座させたりしていない。」旨、前示被告人の供述とは相反する証言をしている。そこで、被告人と右証人の対立する各供述の信用性を彼此検討すると、右成瀬の証言によると、被告人は罪責の追及を逃れようとして警察官らの面前で自傷行為に出たことになるが、被告人にはこれまでに原判示累犯前科等多くの覚せい剤事犯の前科があり、本件で検挙訴追されれば、相当期間の服役を免れない状況にあったことに徴すると、これで自己の覚せい剤使用の疑いに対する捜査に支障がでると考えたその心情からの行動としてみれば、あながち不自然にすぎるともいえない面があること、被告人は当時半袖のポロシャツを着ていたので、腕の注射痕を発見されたと自ら供述しており、また、成瀬証言によると、被告人は着衣の上から所持品等の有無につきその場で警察官にあらためられてもおり、それ以上被告人をパンツ一枚の裸にして捜索する必要があったとまでは考えがたく、覚せい剤使用の疑いがあるに際し、その後の捜査として重要なのは、被告人を警察署に同行して採尿し、これを検査することであるから、被告人の態度をますます硬化させることになりかねない所論のような警察官の所為、とりわけ殴る(被告人はこづかれたという)等の暴行を加えることは、その場の状況に照らし、むしろ不可解なことといってよいこと、原審の審理経過をみると、被告人は弁護人にも所論の点を打ち明けておらず、証拠調べの最終段階で、しかも検察官からの発問に対し、「刑事から殴られた。」と一言答えているにとどまり、弁護人によるそれ以上の立証活動もなされていないこと(所論は、やむを得なかったというが、少なくとも原審段階で何らかの立証活動がなされて然るべきと思われる。)、当審における所論に沿う被告人の供述にしても、警察官の暴行を受けたとする顔面の部位が今一つあいまいであること、これに対し、前示成瀬証人の証言はそれなりに一貫しており、格別破綻をきたしていないことなどの事実を総合勘案すれば、被告人の右所論に沿う当審供述はにわかに措信できず、前示一二〇六号室では、成瀬証人が証言するように警察官らによる所論のような暴行等はなかったと認定するのが相当であり、当審証人Aの証言も右認定を左右しないというべきであるから、所論は採用できない。

つぎに、所論は、警察官らが被告人を右ホテルの部屋から東署まで同行する際に、二人の警察官が被告人の両側から両腕を抱えるようにつかんで、部屋からホテル玄関前に止めてあった警察の車両まで連行し、同車に乗せて東署に連れて来たが、警察官らの右所為は、被告人の身体を物理的に直接支配し、身体の自由を奪った令状なしの逮捕に他ならないというので、検討すると、前示成瀬の証言によると、被告人が前示自傷行為に出たのちも、警察官らにおいて東署まで同行するように説得を重ねたところ、最終的には渋々ながら承諾したことが認められ、これに反する趣旨を述べる被告人の当審供述部分はにわかに措信できないが、具体的にどのようにして同行したかについては、被告人の当審供述があるだけであり、それによると、被告人は部屋から警察の車両まで、二人の警察官に両側から両腕をきつく抱えられて連行された旨所論に沿う供述をしており、さらに、被告人同様東署に同行された前記B子も、自己が連行されるとき、部屋から二人の警察官に両腕を抱えられ、もう一人の警察官に腰のベルトを後方からつかまれて連れ出され、フロントで料金を支払うとき手を離してもらったが、支払をした後は、前と同様両腕をとられた状態で警察の車に乗せられたと証言していることなどに徴し、被告人は、所論のように、部屋から警察の車両までの間、二名の警察官に両側から両腕を抱えられていたと認めるのが相当である。

所論は、本件警察官の同行は、任意同行ではなく、被告人の身体の自由を拘束した逮捕行為、すなわち無令状逮捕であり、このような違法な逮捕がなければ、被告人が尿を提出しなかったはずであり、従って本件覚せい剤使用に関係する各証拠(原判決挙示の検察官請求証拠等関係カード記載番号1ないし8の証拠をいう)は、捜査官側の違法な捜査に基づいて収集された証拠というべきであるから、いずれも証拠能力がないという。

よって勘案するに、本件において、ホテルの部屋からの任意同行と採尿手続は、被告人に対する覚せい剤事犯の捜査という同一目的に向けられたものであるうえ、採尿手続は右任意同行によりもたらされた状態を直接利用してなされていることにかんがみると、右採尿手続の適法違法については、採尿手続前の右一連の手続における違法の有無、程度をも十分考慮してこれを判断するのが相当である。そして、そのような判断の結果、採尿手続が違法であると認められる場合でも、それをもって直ちに採取された尿に関する証拠若くはこれから派生する証拠である本件採尿実施経過についての捜査報告書(前示検察官請求証拠等関係カード記載番号1)、尿の任意提出書(同2)、尿の領置調書(同3)、尿の鑑定嘱託書(同4)、尿の鑑定書(同5)、覚せい剤の使用場所に関する捜査報告書(同6)、被告人の司法警察員(同7)及び検察官(同8)に対する各供述調書等の証拠能力が否定されると解すべきではなく、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、右各証拠を罪証として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められるときに、これらの証拠能力が否定されるというべきである。以上の見地から本件をみると、まず、任意同行というためには、同行するについて本人の任意の承諾、すなわち自由な意思に基づく承諾のあることが前提になるが、任意とは本人が自発的にすすんでしたような場合に限られるものではなく、渋々承諾した場合でも、社会通念からみて身体の束縛や強い心理的圧迫による自由の拘束があったといい得るような客観的情況がない限り、任意の承諾があると認めることができると解すべきところ、本件被告人の場合、前示のように、警察官らの説得により最終的には渋々ながらも同行することを承諾したと認められ、承諾自体は任意になされたというべきであるが、同行する際に、前示のように二名の警察官が両側から両腕を抱える行為は、警察官らの主観のいかんを問わず、社会通念上、被告人の身体の束縛があったと認められる客観的情況があったというべきであるから、その方法において任意同行、すなわち任意捜査の域を逸脱した違法な点が存するといわざるを得ず、これによってもたらされた状態を利用して引き続き行われた本件採尿手続も違法性を帯びるものと評価せざるを得ない。しかし、本件では、右のように任意同行の方法に違法の点があるとしても、同行そのものについては前示のように被告人の承諾があったと認められ、腕を抱えられた後においても、これを拒絶するような態度及び意思を表明していないこと、警察官らが被告人の腕をわざわざ抱えたのは、被告人において右のように同行を承諾し反抗や逃走の気配を示すようなことがなかったのであるから、被告人の身体を拘束することに主眼があったわけではなく、被告人に自傷行為等の異常な言動があったため、任意同行に際しての事故の発生を防止しようとする配慮が働いたことによるものと認めるのが相当であり、従って警察官らの主観において、令状主義を潜脱しようとの意図のもとになされたとは認め難いこと、腕を抱えた区間が同ホテルの部屋から警察の車両までの間にすぎないこと(車両があった場所は証拠上必ずしも明らかではないが、同ホテルから至近距離の場所と推認してよい。)、また、採尿手続自体は被告人の承諾に基づき行われていること、などの事情が認められるのであって、これらの点に徴すると、本件採尿手続の帯有する違法の程度は、いまだ重大であるとはいえず、所論のように原判決が挙示する各証拠(検察官請求証拠番号1ないし8の各証拠)を被告人の罪証に供することが、違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから、これら各証拠の証拠能力は否定されるべきではない。

なお、所論は、採尿に際し、警察官に「小便を出すまで帰さない。」と言われ、ホテルの部屋での暴行、傷害の恐怖心も残っていたので素直に尿を出した旨、尿の任意提出をも争うかのようにいうが、前示成瀬勝博の証言等関係各証拠によれば、被告人は、東署において、当初は「小便は出すけれど今は出ない。」と言って、尿を出さないで約二時間ほどねばった後、結局観念して尿を出す旨申し出たので、警察官において採尿の手続をしたことが認められ、採尿手続についても渋々ながら承諾したと認めるのが相当である。被告人は、警察官に、「小便を出すまで帰さない。」と言われた旨当審において供述するが、前示成瀬は、「注射しているのであれば、小便を出さないといつまでも時間がかかるぞ。」という趣旨のことを自分も含めた警察官らが言ったことは認めるが、「帰さない」とは言ってないと証言し、右はいまだ説得の域にとどまるといえること、そもそも、被告人を東署に同行した主たる目的は採尿することにあり、被告人も十分それを認識していたこと、尿提出までに約二時間もかかったが、その間に帰りたいとの意思を明示した形跡が窺われないことなどに照らし、右被告人の当審供述部分はにわかに措信できず、また、所論の暴行、傷害が認められないことは前説示のとおりであるから、被告人に恐怖心があったとの主張はその前提事実を欠くことになり、結局、所論は認めることができない。

その他所論が縷々主張する点をさらに検討しても、原判決に証拠調手続に関する訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について

論旨は、仮に原判示第一の事実が有罪であるとしても、被告人を懲役一年六月に処した原判決の量刑は重きに失するというので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するのに、本件は覚せい剤の自己使用二回の事犯であるが(原判示第一及び第二)、被告人はこれまでに原判示の累犯前科を含め四回覚せい剤事犯で服役し、本件も右第一の事実で尿を警察に提出した後にも更に同第二の使用に及んでいることなどに徴し、覚せい剤に対する親和性、依存性は根深いと認められ、被告人の生活態度、その他諸般の事情に照らし、その犯情は軽視できず、反省の情、更生への意欲、家族の事情など所論が指摘する情状を十分斟酌しても、原判決の前記量刑が重すぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条、刑法二一条、刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田直郎 裁判官 谷村允裕 河上元康)

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